小三宅自治組合

小三宅自治組合の記録

道路愛護作業

 9月30日(日)道路愛護作業が予定通り行われた。実際には、この予定通りというところがミソで、実施するのかしないのか、みなさん、ずいぶん心配したようである。もちろん、私もそうなのだが。

 それというのも、大型で強い勢力の台風24号が接近していたからである。組合長さんも前日は台風予想とにらめっこ。最終的には土木委員と相談のうえ、夕方の段階で決行することにしたという。翌朝には暴風警報が出されていたにも関わらず、集落の放送で予定通りの実施が周知された。現実の問題として予定変更は難しかったことが想像される。 正直なところ、今年役員でなくてよかったなあ、と思った。

 実際の作業そのものは、雨も風もほとんどなく、かえって涼しくてよかったな、と思うくらいだった。前日までに、役員さんらによりある程度草刈りが行われていたので、当日はかどったのだと思う。ダンプトラックの借り入れや作業員の配置、指示などが明確だったのもよかったのだろう。鳥居を立てて解散した段階では、まだ雨は降っていなかったし、風もほとんどなかった。もっとも、携帯電話の警報や消防団の見回りはあったのではあるが。

 解散後、荒神様の役員は中舞の打ち合わせがあった。11月18日に実施が決まり、10月28日に役員会(荒神様の)があり、その日までに集金することが決まった。組合のレクは、この中舞に置き換えられる。これはこれで楽しくできたらいいなと思う。

 

 

 

 

 

西日本7月豪雨

 西日本7月豪雨の影響で、荒神様の北30mから40mくらいの道路わきで土砂崩れが起こっていた。正直、そんなところで土砂崩れが起こっていたなんて知らなかった。 7月15日の夏祈祷の際の総会にて、土地の所有者が溝の土を掘りだしてもらいたい、とかいう話が組合長からあったらしい。(私は出席していなかった。嫁から聞いた。)

 で、18日に土砂崩れの土地の所有者を調べるために、市役所を訪れた。とりあえず切り図にて、うちかHさんだということはわかった。正確には、測量をしないとわからないということだった。

 22日、しょうがないから、Hさんと相談して、私が溝から土を取り除く作業をすることにした。で、行ってみるときれいに土砂が取り除かれていた。重機を利用した大掛かりな作業のように思われた。

 夜、組合長に電話をかけると、市の方でしてくれたということだった。作業したのは唐川建設。まあ、ありがたいことではあった。自然災害による土砂崩れだから、当然と言えば当然のようにも思うが、これは感謝すべきことなのだろう。所有者を調べに市役所に行った私は何だったのだろう。そんなことも思った。

 

 

溝掃除

 5月20日(日)自治組合としては年度初にして最大の行事である、溝掃除がおこなわれた。私は草刈り機を持って参加。しかし、草刈り機の歯はまるまってしまっていた。昨年指摘を受けたHさんにまた見てもらったら、「やっぱり歯がない」。

 あれから、新しい円盤を購入して付け替えたら、すごくよく切れるようになっていた。でもそれが、また石にあたったりしてきれなくなってしまったのだろう、また歯がなくなった。1週間ほど前にどうも切れにくいなあ、と思っていたが、その実感は正しかったようだ。

 それでも、その草刈り機で参加したわけだが、北班はどうしたわけか草刈り機ばかりが集まってしまい、溝掃除部隊が足りなかったので、始めてしばらくしたらくわに持ち替えた。あのまま草刈り部隊を続けるよりは役に立ったようだ。

 作業終了後は総会、親睦会といつもの流れ(去年はしなかったけど)だった。それはそれで楽しいひと時だった。その後、家に帰ってコーヒーを飲んでいたら、Sさんから電話があり、別荘にて2次会のお誘いだった。何も持って行くものがなかったので、せこいなあとは思いつつ、コーヒーのボトルを持って行った。(ちなみにTさんはワインを何本も持ってきていた。)そこでカラオケを熱唱して、この新緑の季節の一大行事を終えた。

 

 

慰労会

 4月22日(日)平成29年度の慰労会が行われた。女性陣が買い出しに行った料理をお皿に盛ったオードブルを食べながら、くだらない話をするというただそれだけのささやかな食事会に過ぎないのだが。

 予定は3月31日だったのだが、年度末は多くの人が都合が悪いということで、延期になったものである。何日にしても参加できない人はいるので、それはそれで仕方がないのだが、まあまあ多くの人が参加できたのではないかと思う。

 話の中心はTさんやKさんの娘さんの話だったと思う。やはり、そいう話をするときは、話す人も親の表情になり、聞く人もまたほほえましい表情で話に参加する。その後は、いくらか次(平成?32年度)の組合長の話も出たが、これはこれでAさんということで落ち着きそうな気配である。

 片づけをして家に帰ってから、福祉センターでのひまわり会の発表を見に行った。Tさんが出場するということで、しっかり宣伝していたからだ。芸能人が多いという小三宅自治組合から多くの歌手が参加していた。(実際に見たのはTさんだけだが)小三宅自治組合の発展を祈念して、これにて平成29年度の役員はその役割をすべて終えたのである。

引き継ぎ

 3月4日(日)に小三宅自治組合の最後の総会があった。その親睦会にてTさんより組合長の仕事の引き継ぎをフラッシュメモリーのようなきちんとした形でやるよう指示を受けた。正直、それはいいことだと思ったのだが、フラッシュメモリーとか1000円くらいするし、自分が作ったしょうもないものが残るのはちょっとどうかなあと、口ではやりますやりす、と言いながら、実際にはまあ後でいいかと思っているうち、とうとう3月が終わりそうになってしまった。

 昨年の引継ぎは、前任の組合長であったHさんの奥さんから、うちの嫁にという形で行われたので、今年もうちの嫁が新組合長の奥さんに自分が引き継いだものをお渡しした。その中では以前、Kさんが制作していた「組合長要綱」を、私が更新、拡充して「組合長マニュアル」として引き継いだものもある。これは紙の形だったので、Tさんは気に入らなかったようだ。Tさんは毎年更新するものとして、H23年度の組合活動を記録しCDを制作したけれど、このCDはフォーマットとして利用はされるものの、一部を除いて更新はされていない。

 だから、毎年更新できるよう、その年度で新規作成したり、いじったりしたデータは年度でまとめて、このフラッシュメモリーに残すようにして、次年度の組合長はより楽に仕事ができるようにしようというわけだ。現在の場合、組合長は毎年違う人がやっているし、地元で仕事をしている人とは限らない。いや、多くはサラリーマンなどで遠くに通勤して働いている。次の人が困らないように、少しでも前例としての記録を残していくことで支えていく。自身もそういう気持ちを伝えることができれば、と思う。

 新年度の組合長であるYさんは、2回目になる。私はもちろん初めてだったので、前任の組合長に質問ばかりしていたが、Yさんはその必要はないだろう。年齢的にも社会的立場的にも、私に尋ねられたりはしないだろう。だからこそ、Tさんはこういった引き継ぎをきちんとしてほしいと思ったのだろう。YさんとTさんの仲にちょっとうらやましいと感じてもよいものがあるように思う。

 

不法侵入

 3月12日(月)小三宅地区のお大師様のお堂に、不法侵入者があった。第1発見者はTさん。Tさんが通りがかったとき、ちょっとお堂の中を覗いたらだれかいる。声をかけてもわめくだけ。これは危ないと思い、警察に通報したという。

 まあ、そういうこともあるかという程度の話ではあるが、警察がからむと話は厄介になる。拾った財布を届けただけでも、いろいろ聞かれ、ちょっとした取り調べを受けている感じだから、これはたいそうな騒ぎとなった。

 狭い道にパトカーやらバイク(白バイではなかった)やらが連なり、犯人に手錠をかけて連れていくことになった。犯人が自治組合員でないかどうか顔を確かめたり、その後の鑑識の立会人となったり、とお大師様のお堂を管理する自治組合の長としては、結構大変だったのだ。

 極めつけは、その後。「調書を取りたいので、警察署に来てほしい」との依頼を受け、第1発見者のTさんとともに警察署に。6時半ぐらいだったろうか、それから延々9時ぐらいまで、被害届やほかの調書の作成などをしていた。自分自身はたまに簡単な質問に答えたり、文書の確認をしたりとあまりすることもなく、ひまにしていた。行くときはTさんの車で行ったので、遅くなりすぎて一緒に帰られなくなり、最後は警察の車(たぶん覆面パトカー)で送ってもらった。確かにまあ、そういうこともあるかではあったのだが・・。

市と自治組合

 Sさん宅前の道の陥没が直らない。次年度への引継ぎ事項になってしまった。単純に危険個所なのだから、直してくれたらいいのに、と思うのだがことはそう簡単ではないようだ。実際、一般市民の日曜大工で直せるレベルではない。

 直してくれない理由は、市の排水溝を付近の住民が勝手にいじっているとのこと。おそらく、何十年も前に自治組合の人たちで、ちょっとした工事をしていたのだろう。そこをもとに戻さなければ、市としては何もできないという。

 市としては、市の土地か個人の土地かの線引きを非常に厳しくする。おそらく昔はそれがかなりいい加減だったのだろう。例えば、町(そのころは町や村だったろうから)の土地と言っても、もとはと言えばだれかの寄付だったりして、「官」と「民」の区別があいまいだったものと思う。もちろん、Sさん宅前の道がそうだとは言わないが、「官」は「公」ぐらいの意味で、入会地ぐらいの意味合いしかもたなかったのではないだろうか。 町はそういう管理にしても、お金を出すなどのちょっとした調整をしていたにすぎなかったのだろうと思う。

 だから、「市」になって、そこは「官地」そこは「民地」としゃくし定規に対応されると、非常な違和感を覚える。「非情な」と言い換えた方がよいかもしれない。Tさんから出された「池の堤防改修案」も却下された。「町」が「市」になって、「融合」から「分裂」に進んでいる気がする。そのあたり、実際にはどうなのだろうか。